The Kamoto Medical Association
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生きている地球とともに(後編)

  山鹿市 前原 龍彦 

 生物の大量絶滅というと6500万年前の白亜紀と第3紀の間を区切る恐竜の絶滅事件(K/T境界絶滅事件)が頭に浮かぶことでしょう。巨大隕石の衝突というショッキングな話が加わったために大勢の人が知るようになりました。しかし、生物の化石が大量に見つかっている最近の5.5億年の間(顕生代という)には、恐竜の絶滅を含めて少なくとも5回以上の大量絶滅事件が起こっていることがわかってきました。前回にも少しだけ述べましたが、2.5億年前のペルム紀/三畳紀の大量絶滅事件(P/T境界大量絶滅事件)では全生物の実に96%が絶滅しました。大量絶滅事件の原因を大別すると、地球外起源とみなす場合と地球内部に原因を求める場合の二つがあります。

 先日の新聞には、P/T境界大量絶滅事件のその1000万年前にも大量絶滅が起こったらしいと報じられました。この時期2000〜4000万年にもわたって低〜無酸素状態が続いたらしいのです(スーパー・アノキシア)。この原因は、超大陸パンゲアの分裂に伴う火成活動の活発化で、大量の噴煙の影響による「冬」が原因で光合成がストップしたことによる、無酸素状態が原因だとが分かってきました。一方、6500万年前の中生代白亜紀末(K/T境界)の大量絶滅事件は現在、隕石衝突説で一致を見ています。このユカタン半島沖に落ちた隕石は直径8kmもの大きさでした。このインパクトで恐竜の時代が終わったとされていることはよく知られています。しかもこのような大規模な隕石の衝突は2600万年周期で起きているらしいことも分かってきました。それは銀河の中を太陽系が移動するときに別の恒星系とニアミスを起こすことで、太陽系の外縁にある「彗星のゆりかご」カイパー・ベルトの天体たちの軌道が狂い、太陽系の内部に「落ちて」くることによるものだそうです。そして3500万年前にも隕石の衝突で大量絶滅が起きていたことも確かめられました。次に巨大隕石が衝突する時期は、もうそろそろなのかもしれません。

 さて恐竜は隕石の衝突が原因で絶滅したとされていますが、実際には数千年にもわたる期間を生き抜いています。恐竜たちが大型化し繁栄を極めたジュラ紀の環境は、今よりも20倍の二酸化炭素濃度と10度は高い気温だったようです。高い二酸化炭素濃度は哺乳類に呼吸抑制をもたらしますし、これだけ平均気温が高いと動物は寒さに対処することより体内の熱を如何に逃がすかということのほうが重要になってきます。恐竜の恒温動物説が一時もてはやされました。体から垂直に伸びる肢を持つのは恒温動物だというものです。しかしこの時期の気候を考えると、体内から発生する熱の少ない変温動物のほうが放熱という面からは優れていいますし、体を巨大化させて体温の変化を最小に食い止める恐竜たちやり方は、当時の環境により適していたと考えられます。一方、哺乳類は体熱を処理するという点から見ると、大型化できなかったと考えるほうが理にかなっています。しかしジュラ紀から白亜紀になると、大気中の二酸化炭素の量は徐々に減りつづけ気温も下がってきたようです。恐竜たちの楽園も少しずつ様相が変わっていきました。昆虫が花粉の媒体をする被子植物が地表に広がり始めたのです。新しく広がり始めた被子植物はそれまで地表を覆っていたシダ類や裸子植物と比べ二酸化炭素の消費量が多く、したがって酸素産生量も多く、これが大気環境の変化の原因とも考えられています。しかしまだはっきりしたことは謎のままです。

 白亜紀末期ともなると恐竜たちの体格も全盛期と比べ小型化し、種も減ってきています。1億5000万年にわたった恐竜たちの繁栄にも翳りが出てきたころ、巨大隕石の衝突が起こったと考えられます。一気に環境が変わってしまいました。哺乳類や被子植物のほうが優勢になったのです。恐竜が絶滅したからというより乳類や鳥類にとって、より生息しやすくなる方向に向かって環境が変化したに過ぎないのです。隕石の衝突は恐竜の絶滅を幾分速めはしたものの、直接の原因ではなかったのでしょう。恐竜が占めていたニッチは哺乳類が取って代わりましたが、実は鳥類との戦いもあったようです。つい数百年前まではアメリカ大陸やオセアニアには大型の肉食鳥類が生息していました。まだ体が小さかった哺乳類たちの最大の敵はこれらの鳥類だったと思われます。地球の生態系での支配者となることのできた哺乳類は、鳥類と比べ何が違っていたのでしょうか?脳の大型化にはどういう生物学的圧力が働いたのでしょうか? 残念ながら私はこれに答える図書を知りません。これからの課題となります。

 さらに5.5億年前の大量絶滅は今なお謎に包まれていますが、超大陸の分裂が関与しているのかもしれません。隕石衝突にしろ、激しい火成活動によるにせよ、生物たちは環境の影響をまともに受けるほかなかったのです。その時の環境に適応しているものほどダメージは大きかったと思われます。しかしわずかに生き残った生物は、環境の変化が落ち着くにしたがって再生への道を歩き始めるのです。しかも絶滅前に到達した進化を後戻りすることなく別の系統の生物たちによってその資質は受け継がれました。3500万年前にも隕石の衝突で大型動物の絶滅があり、哺乳類の中で繁栄をかけた新たな競争が始まりました。このように幾度ともなく繰り返される環境変化と大量絶滅は生物たちに多様性と環境の変化にしなやかに対処するすべを与えることにも役立ったと考えられます。地球の歴史とともに生きてきた生物たちに、これから先どのような破局と再生の物語が待っているのでしょうか?きっと今までと同じように後戻りすることなく生物たちの系統は続いていくことでしょう。人類誕生後500万年とも800万年ともいわれていますが、人類の系統はいまや私たち1種しか存在していません。種としての繁栄のピークはとうに過ぎてしまっているとも考えられます。それでも私たち人類が少しでも長く存在してくれることを願ってやみません。

 生物学者の中には宇宙由来の遺伝子様生成物の飛来がもとで、それまでの生物種に突然変異が多発したという説を掲げる人もいます(昆虫類の突然の多様化と隆盛)。しかし現在ヒトゲノムの究明が急速に進展してきて、徐々にその驚くべき実態が明らかになりつつあります。人の遺伝子のたどった歴史ばかりか、地球上の生命の歴史さえも遺伝子の解析で分かりつつあります。遺伝子はただ環境によって変化、選別されて複雑化してきたのではないようです。「遺伝子座間の競争進化」というものがクローズアップされてきました。染色体上の遺伝子の中には相反する働きのものがあり、その主導権争いが遺伝子の自らの姿を変えたり、対立する遺伝子を封印したりするのだというアイデアが脚光を浴びています。競争が厳しければ厳しいほど遺伝子の生き残りをかけた戦いは激しさを増し、多様性と複雑化が進んだとしたら、人類誕生の謎の解明にヒントとなることでしょう。より言語能力を高めるような遺伝子、より狡く、より攻撃的な性格をもたらす遺伝子などがあったとしたら、どういうことが考えられるでしょうか?「我々が知能と呼んでいる現象は、言語的な攻撃や防御を媒介とする遺伝子同士で繰り広げられるゲノム間闘争の副産物かもしれない(ライス、ホーランド)」という見方もできるのです。またドーキンスの「利己的な遺伝子」説は新しい概念をもたらしました。この新しい概念にはまったく驚かされました。意図的ではないにせよ、意図的に振舞う私たちの遺伝子に恐怖感さえ感じますが、その遺伝子の産物である私たちの脳は、遺伝子の謎を解き明かし逆に遺伝子の振る舞いまでも変えようとしているのです。単なる科学の進歩として捉えるのではなく、太古の昔に起こった多細胞生物の出現や、生物の上陸にも匹敵する、いやそれをも凌駕する地球生命にとってのターニング・ポイントとして現代を捉えるべきだと感じます。

21世紀には、これまでその呪縛から逃れられないと思っていた遺伝子の秘密を解き明かそうとしています。この地球と一体となって生まれ、進化してきた私たちのことに関心を持ち、これからの地球のあり方を真剣に考える時期にきていることは間違いありません。

では「人類誕生の奇跡!人が人たる資質とは?」は、残念ながら今のところいつになるか分かりません。が、遺伝子の解析が進むにつれて、生命や人類の驚くべき進化の歴史が解き明かされるに違いありません。

主な参考図書

「生命と地球の歴史」 岩波新書 丸山茂樹 磯崎行雄 共著

「最新恐竜学」 平凡社新書 平山廉

「ゲノムが語る23の物語」 紀伊国屋書店 マット・リドレー著 中村桂子・斉藤隆央訳

ほか、日経サイエンス など

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